【書評】『コロナ危機の社会学 感染したのはウイルスか、不安か』 西田亮介

 西田亮介さんの『コロナ危機の社会学 感染したのはウイルスか、不安か』について私が興味を持った点をまとめてみる。従って本書全体の忠実な要約になっていない点はご了承いただきたい。

 

 新型コロナでは多くの尊い命が失われた。亡くなられた方には心からご冥福を申し上げたい。コロナ対策は迷走し、本当に効果的な対策が取られない場面も見られた。

 一方で、人々の「不安」が本当にウイルスの脅威に見合っていたのかは検証の余地がある。緊急事態宣言により経済は低迷し、倒産・自殺者・うつ病患者は大きく増加した。

 コロナ禍よりずっと前のことだが、バウマンという社会学者は「派生的不安」という概念を提唱した。派生的不安は社会的・文化的に再加工された不安で、事実に関わらず集合的に社会を導き、「自動推進」していく力を持つ。買い占め問題、自粛警察など様々な問題、過度な政府批判は、この派生的不安が「自動推進」し、社会が制御不能な状態に陥ったために起きたという考えは非常に納得できる。なぜこんなことになってしまったかというと、SNSなどの新しいメディアではどうすれば世界的な感染症を前に過度な不安を防げるか、知見が全くと言っていいほどなかったからだ。民間レベルで2009年の新型インフルエンザの流行の時のノウハウを覚えている人が少なかったことも要因だ。

 国民の独り歩きした「不安」はスキャンダルなどに起因する内閣支持率の低下と相まって、「耳を傾きすぎる政府」をつくっていく。すると、国民受けはするが効果不明な「コロナ対策」が一層行われるようになり、私たちの行動の自由も狭まっていった。

 SNSによる情報の過剰性と2009年の忘却。そして脊髄反射的反応。これらがコロナに対する不安を無意味に拡大させ、自分たちで自分たちを縛っていった。これがこの半年、社会で起きていたことだ。

 

 現在進行形の出来事についての分析であるため限界はあるが、本書はコロナ禍の世界を捉える上で新しい視点をもたらしてくれることは間違いない。コロナに関する本は多く出版されているが、単なる政府批判であったり悲観主義に徹しすぎていたりするものがほとんどで、本書のような視点は珍しい。私は政府を手放しに肯定するわけではないし、「コロナなんて平気だ」という楽観主義をとるつもりもない。しかし新しい視点を持つことは自己を相対化し、自分の立ち位置を確かめさせてくれる点で重要だ。

 コロナに対する「当たり前」から一回自由にさせてくれる本書は、今自分がどこにいて、どのような価値観を持って、何をしているのかに気づかせてくれる良書だった。